国立新美術館での作品展示を見に来てくれるお友達に会うため
上京した母と会った先日。
「食事しましょう、3時前には会いたい。」とメールが来て、
2時半に待ち合わせ場所へ。
母と連絡が取れたのは3時過ぎ。待ち合わせ場所で時間を潰しながら
母は常に時間ルーズでいつも待たされたなと思い出していました。
友達と食事済みでお茶だけでいいわ、と少し話して帰って行きました。

お友達に「あなたが子供育てたなんてね〜」と言われると
笑っていました。

孫の卒入学、習い事発表会、ステージ、運動会、
あらゆる行事全てスルーでした。
自分の興味があれば飛行機に乗ってでも遠い海外でも行くけれど。
おばあちゃんおじいちゃんが一緒に応援している家族を見ると
いいなと思ったこともあった運動会。発表会。


自由で、気分にムラのある母を反面教師に
私はとても努力して一般的母像というものを学びました。

娘が思春期の頃、「もっと普通のお母さんが良かった」と
言われたけれど、私は普通の母というものは存在しないと思っていました。
そんなの幻想。

母がいるということはありがたく幸せなことだけど
母という存在は影響が強く、少なからず人生を支配してくるもの。
進む学校も、付き合う友達も、視聴するもの、読むもの、
着るもの、身につけるもの、勉強時間、生活の細かいルールも
全て母の気にいるようにしないと許されない息苦しさの中、
私という存在をどう捉えるか、自分の意思をどう肯定するか
模索したくて青春時代は本ばかり読んでいたのだと思います。

娘が恐ろしく本を読まないのは
自分を既に肯定しているからで、何かを疑ったり悩んだり
モヤモヤとしていないからかもしれません。


長い歴史の中で結婚することがスタンダードだったら昭和の一時代。
今なら結婚しないことも選択肢にあるし、
江戸時代だったらもっと結婚人数は少数派だったので
結婚しないとという圧力があったのは
珍しい時代でもあったわけです。
今なら母は独身だったでしょうか。

結婚には向いてなかったという父と
母親には向いてなかったという母の間に生まれ
両親が私に望んだ生き方は、結婚せず、子供も持たず、
仕事を持って自立して生きて欲しいということでした。
両親からは、私が結婚相手(夫)を紹介した時も
妊娠を伝えた時も仕事を辞めることでガッカリされました。

私は子供が居て良かったし、母の望むようには行きていないけれど
自分にはこれで良かったと思う他ありません。



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